2020年12月12日土曜日

サルコペニアに近親感!

  三年近く前、40日ほどの入院する羽目に陥った。その時はこ体重が7kgほど減り、それだけではなく筋力の衰えをいやというほど感じた。何しろ手すりにつかまって歩くのがやっとだったり、椅子から立ち上がるのも手の力の助けが必要だったり、退院して一人で生きてゆけるかと心配したほどでした。 まさにサルコペニアとはかけ離れた筋力低下だったと思う。

 ところが最近は体重も元に戻り歩行も杖なしで1万ぽぐらい歩けるようになり一人暮らしを続けている。しかし、一人で生活はしているもののサルコペニアとはこんなことを言うのかとその単語に近親感を覚える昨今なのだ。

 まず今まで30分ほどで歩けたJRの駅までが40分ほどかかるようになった。歩幅も狭くなったようだがそれよりもピッチが遅くなっているほうが効いているようだ。さらに、歩いているとき昔は感じなかったバランスの崩れを時たま感じる。杖を持って歩いているお年寄り(自分もそうだが)の気持ちが良くわかる。

 他にもいろいろあるがサルコペニアの進行に逆らうのも楽しみにしたいと思うようになった。具体的には 「1日の歩行数の1万/日の義務化」 「散歩コースに階段を含める」 「歩幅を長く」 等だが効果のほどは計りようがない。 せめて階段だけカウントする歩数計・設定した幅より小さい歩幅はカウントしない万歩計 があればうれしいのだが!

 平均寿命をクリヤーした残りの人生、いかに楽しみながら過ごすかいろいろチャレンジするのも面白かろう。いっそこんな万歩計を自作してみるか!

2020年9月2日水曜日

戦前生まれの戯言(Ⅰ)

  今時、「戦前生まれ」は死語かもしれない。太平洋戦争が勃発したのは昭和16年12月だから昭和14年3月生まれの小生、立派に戦前生まれなのだ。その戦前生まれが最近のコロナ騒動に振り回されている世の中に盾突いて「蟷螂の斧」を振りかざしたくなる。

 コロナ騒動の結果、日本はデジタル化推進の遅れが顕著になったと述べている輩がいる。反面SNSで誹謗され死者を出すのを防がなければ・・・とも。 SNSはデジタル化の産物ではないのか? 部分的な側面だけを捉えて発出するからおかしくなるのだと言いたい。

 物事には全て「原理・原則」が存在する。振りかざしたい最初の「蟷螂の斧」はこの「原理・原則」が「何に・何処に」あるか先ず考えよと言うことだ。 原理原則が不明ならば探さなくてはない。分かっていれば如何に原理原則に従って行動するかだ。 と書くと抽象的で何を言いたいのとまた誹謗されるであろう。 それは追々書き進めて行けば理解してもらえるものと思うので・・・。


2020年3月10日火曜日

平均寿命と健康余命・・・81歳の誕生日にあたり

 歳をとるにつれ最後はどんな終わり方をしたいかが話のネタになる事が多い。「ポックリ死ぬのが最後の望み」と自分は言っているが、話し相手の殆どが「自分もそう思う」と賛同してくれるものの「そんなに思う通りには行かないわよ。ましてあなたは(・・・)」と言われている。 そこで悩ましい目標値をここに見つける事にした。
「ポックリ死ぬ」とは 余命=健康余命 に他ならない。そこでいろいろ調べてみると
81歳の平均余命は簡単に探し出せ健康寿命も探せた。 ところが健康余命はどうやら一般的ではないらしい。 平均健康余命を算出する方法・それに必要なデータも入手出来そうだが、計算は面倒で直ぐには出せそうにない。(そのうちに暇なな時間を埋めるために算出して見たいとは思うが・・・)
 そこで普遍性が無くても自分が納得できる物であれば良かろうと考え得られた答えがこうなった。
 ここ3年で介護を要し(受けた)た日数の割合=8.4% 
 平均余命=8.47年だから 予測される要介護日数=8.47年×8.4%=0.71年
従って自立して生活できる余命は 81歳+平均余命ー0.71=88.76
これが我が健康寿命とすることにする。
 目標は決まった。これを実現するために日常生活をいかに積み上げていくか! それにまつわる事柄を随時掲載してみたい。


 

2020年2月28日金曜日

悩ましい目標値の設定

 久しくBlogから遠ざかっていた。それにはそれなりの理由があるのだがおいおい記述
するとして、再開する気分になって来たから・・・とだけにしておこう。

 昨日、かかりつけの病院で定期診察(?)を受けて来た。結果は良好 現状維持 の投薬と 2か月先の診察予約 で無事終了する。
 間質性肺炎に罹り2回の入退院を繰り返し丸3年を経過し未だ生きながらえている。そして退院してから丸2年相変わらずの一人生活だ。間もなく81歳の誕生日を迎え、更に3か月も過ぎれば男の平均寿命81.25歳に到達するのでそれを機会に新たな目標を設定したいのだが・・・。
 平均寿命到達を元気で迎えることに少し誇らしい気持ちになりかけていたのだが、それって生まれて間もない男の子と競いあっているだけの事と思うに至り、競うなら同年齢の人と比べるべきでとの結論にいたった。すなわち平均余命までを生き長らえる事で人並みだからそれを目標に・・・なのだが永久に平均余命には到達しないと理解するに至る。
従い目標値を定めるには至っていないが誕生日までには何としても定めたいと念じているのだが・・・。

2018年1月15日月曜日

今年のお正月

松の内も過ぎてようやく正月の様子をUPする。 その前に年末にブリッジしていた前歯が外れてしまい休日歯科急病センターで応急処置をしてもらう。ドクター曰く「とても長持ちする手段ではなくまた外れると思うが!」
 それでも こわごわ歯を使いながら の正月準備が進み、餅つき・年越し蕎麦等例年通りに進行する。
今年はお節をお弁当風にお重に詰めてみた。何しろ11人の胃袋を満足させねばならず、品目ごとに詰めて並べると手が届かず醜い争いが生じる可能性があるからだ。
テーブル二つを並べその上に弁当風お節を並べて、全員で取り囲んでの我が一族の正月行事が始まり、あっという間に楽しみの時間は過ぎ去る。 昨年の入院生活で鍛えられた減塩食がお節にも影響し、全般に薄味で素材の味わいを十分に感じることが出来ると好評であった。そのお節を取り囲んだ我が一族の面々、頭数は変わらないが次第に大きくなった孫の存在感が強くなる。
今年はこれまでと違った一場面があったのでそれを紹介して締めくくる。筆頭孫のN海が中学に入って始めたコントラバスの演奏を披露してくれたのだ。
この風景、よほどのことが無い限り来年に見ることはできない。中学3年になるから楽器の演奏どころではない状態になっているはずだから!

2017年9月10日日曜日

ささやかな自分への贈り物

 子供は夫々独立し、妻には先立たれてひっそりと世の片隅に命を長らえている今になって、ようやく自分への贈り物が出来るようになった。
その一つが左の写真のガステーブルである。使っていたテーブルが使えなくなったのではなく、老朽化が進みいずれ買換える時が来るように思っていても、現実にはなかなか行動に移せなかった。
 何故だろうか? その理由を思い巡らしてみると・・・結婚して子供が生まれ家族を養う責任を持たされ四苦八苦する毎日が続きいつの間にかただひたすら家族のために働くというのが当たり前と頭に刷り込まれてしまった。・・・それから解放されてしかるべきだが、それを手助けしてくれる筈の家内に先立たれた自分には、己自身で気付くしか無い。 思いがけなく間質性肺炎なる病気で一命を無くするところから解放されつつある今、どう残りの人生を遊行するか考えるようになってようやくたどり着いた結論が「自分への贈り物」だった。
 日本経済の活性化のため経済的に余裕のあるお年寄りがお金を使うべきとは頭では分かっていても、中々行動に移せないのは意外にこんなところに理由があるのかもしれない。老後の生活の為にお金をキープするのではなく、「老後を楽しむ為のお金の使い方」を伝授する動きがもっとあって然るべきと思うのだが・・・。

2017年8月18日金曜日

ラジオ少年に戻った一日

松下通信工業製のSSG
 久しぶりでSSG(標準信号発生器)に火を入れたが上手く働いてくれない。どうしても使いたい事があって修理(?)する事にした。 ふたを開けると昔し懐かしデジタルICがぎっしり詰まっている。このままではちょっと手が出ないので・・・マニュアルの入手から手掛ける。

 SSGを入手したのは15-6年前でその時に操作マニュアルを探したが手に入れることが出来なかった。からといって諦めるのは早すぎ・・・型名を入れて検索するとすんなりと引っかかってくれた。 英文ではあったが回路図までついているインストラクションマニュアルをダウンロードすることが出来た。

 SSGにはメモリー記憶用に電池が使われているのだが、調べてみると全く電圧が出てこない。もっとも長年使っていない上に20年も前に生産されえた機器だから当然といえば当然な事である。
 

取り外した電池が左の写真。NI-CD 3.6V、50mAH容量の物だったが相当品の入手はちょっと面倒なので代替品で賄うことにする。

 

 
代替方法に単4のNI-MH電池を使う事にする。 3個収納出来る電池ケースに入れて機器内部の空いたスペースに装着する。

そして電源を入れると・・・全く問題なしに動作するではないか!これでしばらくはSSGとしていろいろ使う事が出来そうだ。

もう少し厄介な故障があり、修理に手間をかけられれば、もっと楽しむ事が出来ただろうにと思いながら、夏の一日を過ごした昔しラジオ少年 の遊び人でした。